人と人
西日本での豪雨、北海道での震災、その他にも生活を脅かす様々な災害、そして命を奪うような事件、そして病い。
今日、こうやって生きていられることは当たり前なことではない、と、考えさせられるようなことが続いき、考え込んでは凹む。
そうすると、ドンドン内にこもってしまい、そもそも上手く扱えてないSNSでの発信や演奏活動の宣伝もより億劫となり、そこからしばらく距離を置く日が続く。
実際の生活も、必要がなければ人に会わないで過ごす日が続く。
でも、私が落ち込もうが傷つこうが、今後も災害はなくならないし、事件も病気もなくならない。
現代の日本に生きるということは、そういうことだと納得しようと努力する。
「そういうことが連鎖する世の中に、私は生きているのだ。」と自分に言い聞かせる。
だから、
「生きていられて、有難いと思いなさい。」と何度も言い聞かせ、
「脚、腕、不自由ないよ」
「心臓、動いてるね」
‥と、数日前と変わりなく生きていることを確かめ、命を感じながら過ごそうと頑張る。
そうこうしているうちに今後の予定がいろいろ決まってくるので、やっぱりしっかり宣伝して、演奏活動を充実させていかねばな‥と思い、また、ホームページやSNSを更新する。
大体それの繰り返し。
成長がない。
人と人。
病気でもなく、災害でもなく、人が人に与える影響で、悩み苦しむことがたくさんある。
人のコミニュケーション、本当はもっとシンプルでいいのにと思うこともたくさんある。
人と人、「自分」と「相手」って考えるから複雑になるのだろうか。
自然の一部である人が、限りある命を持った生き物として、みんなで繋がっているって考えると、人とのつながりが、もっと愛おしく、シンプルなものに感じられるようになるのかな。
自然の一部である私。
人々の一部であるわたし。
写真は、竹灯幽玄祭での一枚。
と、最愛の兄。
竹灯の一部であってもいいのだ、わたしよ。
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